幸せと至福の違い(有色と無色)

(昨日の続きです)

すべての色は無色から現れ、現れた色彩は心の成熟によって無色に戻されていきます

つまり、色即是空です

人は、空即是色(色を生み)、色即是空(空に戻る)を行う変換器です


一つ一つの色は個性であり喜怒哀楽です

色の中に自分にとっての幸せの色を見つけることができるでしょう

一方で、あまり好きではない幸せと反対の色を避けることができないのも事実


しかし無色は喜怒哀楽を超えた至福です

つまり「ある」だけがある状態です


有色=人生
無色=悟り

と言い換えられます

有色と無色には同じ光の性質を持ちながら次元の違いがあります

これが幸せと至福の違いになります




光は引き算の法則

いま西海岸で朝の4時過ぎです
時差ぼけで早起きしました



(昨日の続きです)

人はもともと至福です

後から付け足した観念を取り除くと至福がずっと自分から離れずにいたことがわかります


太陽から生まれた光は無色で、その無色の光を分けていくと色が現れはじめます

例えば、無色の光から赤い光を取り出すと、スカイブルーの光が残ります

スカブルーから緑を取り出すと、青が残ります

こうやって何もない無色からとことから、赤、緑、青を取り出すことができます

そして3色の色合いの体験を楽しむことができます

赤、緑、青の体験に感謝し、その3つに光を束ねるとまた無色に戻ります

無から体験は現れ、体験は無にもどっていきます
それが一つのドラマです



さて今度は、無色の光を7つの虹に分けてみましょう

あなたの好きな順番で、赤、 オレンジ、 黄色、 緑、 水色、 青、 紫を取り出すことができます

不思議ですねもっと多くの色が現れます

色を楽しんでください

好きな色の輝きを

あまり好きではない色もありますか?

無という完璧な状態からは、必要な色が一つのセットとして現れます

好きではない色を無視すると、分割のゲームが完結されません

すべての色を経験すると、初めてそれら全てを集めて、無色の光に戻すことができます
七つの色は喜怒哀楽に例えることができます
無色は至福です


すべての体験を抜き去って一つにまとめた時に、無という至福が戻ってきます

これが光の引き算の法則です


今度は24色、36色、144色に挑戦してみますか?

あなたの思し召すままです


ちなみに、赤、緑、青の3色の絵の具を混ぜるとどうなると思いますか?
絵の具は物質ですから、足し算の法則が働きます
ですから3色の絵の具を混ぜると「」になってしまいます
光と物質は反対の結果につながります



人は光の子ですから、心のは引き算の法則を使わないと幸せにはなれません
しかし、長い間物質文明の中にいるとそれを忘れて、幸せになろうとして心に多くを溜め込んで、逆に心を暗く重い色に変えていってしまいます

イエスは「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」という意味と同じですね



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何かを引くと愛が残る

(昨日の続きです)

本当の相手に出会った時、自分は反応の起こらない沈黙の中にある

なんとも言えないせつなさがあります

日常生活の中で似たようなことが起こっています

相手が目の前にいない時に、相手がとても大切に感じる

そんなことはありませんか?

そんな感じをイメージすると昨日のジョーイの話は理解しやすくなるのではないでしょうか?

何かの不在が、エゴの不在に繋がる

何かを引くと愛が残る

ジョーイ・ロット

明日から7月27日まで留守にいたします


しばらく留守にする前に、今日skypeお茶会で中野温泉に入らせていただきました

体からじわじわとしみこむような非二元のエネルギーを頂戴するとともに、沈黙の効用についても面白い話を聞かせていただきました

その話を転用してよいかどうか不明なので、似たような話を紹介させていただきたいと思います


以下、ジョーイ・ロットの本を翻訳されたヒロさんのブログからの抜粋です

ちなみにヒロさんは発掘の天才だと思います


見守る者のまなざし」から

(身近な人たちの人生を変えるにはどうすればいいかという質問に対して)

本当の癒しの可能性というのは自分で何かをするとか誰かが何かをするということを通しては手に入らないと思っている

自分の能力とか誰かの能力のおかげで癒しが起こるわけじゃない

自分にできることは何もないってことがわかったときに癒しが起こる

何も知らないわけだから

自分は何かを知ってると思ってるかぎりは、苦しんでるようにしか見えない相手と本当の意味で会うことはない

自分は何も知らないし、何もできないということがわかったとき、はじめて他者に会うことができる

そのとき、まったくの無力さと弱さのなかで出会える

自分というまったくの無力さ、弱さの中で。これが、僕の見方では、本当の癒しが起こるただひとつの可能性だ


(以上抜粋)



ホ・オポノポノに通じるところがありますね

ジョーイ・ロットの表現をちょっと違う言い方にしてみます


自分のエゴを捨てて相手と接することが出来るかどうかそれが大切なポイント

なぜなら、自分の判断を使う限り、相手の中に見つけられるものは、映し出された自分自身のエゴでしかない

自分を落としきったとき、はじめて相手が見えてくる

相手がわかったときに本当の癒しが起こる(無言の中での共鳴として)



ナイナイ野郎(非二元様)はなんでも否定する形で説明することが多いですが、今回のジョーイの話ように肯定的に突っ込んでくる説明は人間味を感じて結構好きです


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私のリコネクション2

27年前のナイナイ野郎(非二元様)からのメッセージを役立てることなく、自我の人生は進んでいきました

社会人としてのプレッシャーもあり、周りには自分より優秀な人たちがいっぱいいましたので、目の前のことでアップアップになっていたと思います

約15年もの間、全くと言っていいほど、スイリチュアリティのかけらもない生活を送りました

現実の中でどうかっこをつけて生きていくかということに追われていました

それでも、この間、自分の中にあった将来の目標というものをほとんど達成してしていきました

こう言うと聞こえはいいですが、元からたいした目標を持っていなかったという方が適切かもしれません

一つ叶わなかった夢は、政治家になることです

これは本当の目標だったというよりは、思い返してみると、自分のコンプレックスの裏返しにすぎなかったんです


最期に目標としていたことに手がかかったあたりから、少しづつ、記憶力の激減、モチベーションの低下など異変が起こり始めます

それでもごまかしながら、なんとか最期の目標を達成してアメリカから日本に帰ってきたとき、自分の中にはもはややりたいことはありませんでした

そうすると何を思ったのか「もう一度アメリカに帰りたい」と思うようになりました

それは今から約12年前の話です

この思いを抱いた瞬間が、自分にとって”自我の解体作業”の始まりになったということに気づいたのはつい最近のことです

また、自分の人生の中で、「社会生活」と「精神的探究」という二足のワラジをはき始めた瞬間でもあります

二足のワラジ、ブログのタイトルの出どころです



私のスピリチュアルの道は、願望実現のために、心の世界を利用しようという打算から始まりました

以前の日記にも書きましたが、随分と有名なスピリチュアルリーダーにも山ほど会いましたし、様々なパワースポットにも出かけていきました

その後利益があってか、またアメリカに戻るという話が何度か出てきました

しかし不思議なことに最後の最後の段階でつぶれてしまうのです


最後の最後に出会った方はヒマラヤで修業をされた世界的に有名なマスターです

そして、この方に出合いその指導の下で修行を始めたのは3年前

しかし愕然とすることに、ここから私の精神的などん底が始まったのです

アメリカに行く話も吹き飛び、更にはいま所属する組織の中でも適切な名誉、昇進といった社会的欲求すら満たされなくなりました

この間、出来ることは自分を諦めていくことだけです

気づきと痛みは、お互い競い合うように共に大きくなっていきました

バシャールに会った際に、「人生が思いとは反対の方向に行く」と質問して、「コングラチュレーション(おめでとう)」と言われたのは2年前のことです


こんな状況からようやく抜け出したのは山にこもっての30日間の瞑想の後です

自分の中を、えも言われえぬ素晴らしい感覚やイメージ、煮えくり返るほどの憎しみ、悲しみ、体の痛み、そういったものがただ流れこんでは出ていくだけだったんです

自分は、喜びでも、悲しみでもなく、ただ流れ込んでくるものを見て居られる、その安堵した感覚こそが至福だったのです

流れ込んでくるイメージや感情、思考は、単なる偶然のようでもあり、宇宙と自分の綿密に仕込まれた共同作業でもあります

人間は、空が流れ込みそれを音色(波動)に変えていく一本の笛のようなものです(これもブログの名称の由来です)


ヒマラヤで修業をされたマスターに本当の意味で感謝できるようになったのは最近です

頂いたエネルギーが、もうのすごい勢いで自分を浄化したということに気づいたのです

願望達成という名のトンネルの入り口から探究をはじめ、非二元という名の出口から出たのです

このトンネルは、「自我の敗北、それこそが本当の勝利」と書いてあります

ちょっと分かりにくいかもしれませんね

それに、そんなことを言ったりすると誰も寄り付かなくなってしまいますね


(足し算タイプのスピ好きは読んではいけない)
にんじんをぶら下げる人は???だよ


約15年のスイリチュアリティのかけらもない生活にも感謝しています

これが私の沈黙に味わいと深みを加えたからです

「沈黙に味わいと深みがあるのか?」とナイナイ野郎が突っ込んできそうですが

今はそうなんです

クズネッツ級の長い気づきの過程を一段落させ、昔の感覚にリコネクションし始めています

このブログもそうですが、チャネリングの感覚が戻ってきました
(高校時代、倫社の内容をチャネリングで習いました)


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