宇宙/悟りのパラドックス3 -八方ふさがレ-

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おはようございます
ここを訪れていただきありがとうございます

最近のスピリチュアルの動きは、現存している宗教というより
天性のインスピレーションに動かされた人たちが主な原動力になっています

なぜ宗教は、悟りにつながらないのでしょう?(もちろんすべてのではありませんが)
ひとつには宗教が悟りよりも、その組織の存在と拡大を優先したからというのがあると思います
参加する人ににとって、その組織が心地いいのであれば、(悟りにはつながらなくとも)それはそれでいいと思います

もうひとつは、(これが今日の本題ですが)例えば禅宗のように、悟りを目的とした宗教や団体であっても、確立された方法を学問のように取り組んでも悟りは得られないというところにあります

悟りは学問という既存の枠を超えたところにあります

お釈迦様は、当時の修行僧が行なっていた難行苦行をされましたが、そこから得られた答えは、難行苦行からは悟りは得られないということでした

それでも、修行というのは、それを通じて悟りは得られなかったということがわかるところに意味があります

どういう意味があるのか?

つまり、すべての方法をやりつくしたけど悟れないとわかった瞬間、八方ふさがりだとわかった瞬間
今まで握り締めていた自我を心から手放す気持ちになります
そして、そのとき次元上昇することができます

自分が握り締めているアイデンティティを手放す気になるというのがポイントです

なぜ神様が八方ふさがりにするのか?
それは、ほっておいてたら手放ぜない、硬い自我をその問題の中に持っているというサインです

ヽ(´▽`)/ランキング参加しています。宜しくお願いいたしますm(_ _)m 

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