宇宙/悟りのパラドックス(不定期便 その2)

こんばんは
きょうもここに来ていただきありがとうございました

昨日は、過去や未来の自分を使わずに、今ここにある自分だけを使って、人格を説明してみるということを書きました

試されましたか?結構難しかったと思います

ところで、肩書きは今あるものだから使える?でしょうか
肩書はそもそも人格とはいえそうもないし
未来のない者にとっては、肩書は何の役にも立ちません

こうやって自分を説明しようとすると、自分の自我像をいかに、過去や未来に結び付けて形成してるかわかると思います
過去や未来に結び付けが強いほど、自我も強くなり、今ここにいることが難しくなります
言い換えると、悟りから遠ざけます
なぜなら、悟りとは、今にいること、自分の感覚を100%いまに向けること、だからです

何かの挫折や絶望を体験すると、それが悟りのきっかけになったりします
それは、挫折や絶望が、自分を束縛していた過去や未来から切り離し、今のリアリティの中に目を向けさせるからです
キリストの言葉にも、祝福への案内状は一番のぞまない形で届けられるというような言葉があったと思います

映画「永遠の0」の中で、明日特攻隊として出撃する隊員が、川の中に足を突っ込んで「水の冷たさと、自然の豊かさが、今よくわかる」というようなことをいうシーンがあります
未来を失った瞬間に、いまのリアリティとパワーがものすごい勢いで戻ってきたのです
死ぬ瞬間に全てが戻ってくる、これは宇宙/悟りのパラドックスです
生きているうちにこの感覚を多少ながらも味わおうとするのが気づきへの道です

過去と未来を使わずに、人格を説明するとどんなふうになるでしょうか?
「頑張り屋」「親切」「怒りんぼ」「やさしい」「泣き虫」etc.etc.

Wikipediaでは、人格について「性格、気質、興味、態度、価値観などを含む、個人の統合体である」と説明しています

(きのう書きましたが)ラマナ・マハルシは自我を「想念の束」といいました
つまり人格とは、性格とか、気質とかそういったものを”束ねたもの”であって、統合体というようなシステムとしてうまく機能しているものではないという意味です

システムとして機能していないので、多重人格という問題が起こってきます
誰しも多かれ少なかれ多重人格です

わかりやすい例を挙げると
お酒を飲んでいるときは「頑張り屋」人格が現れ、大言壮語になりますが
次の日、目を覚ますときは「めんどくさがり屋」人格が現れ、昨日の大言壮語をほとんどキャンセルします
珍しくありません

こうやって次から次へと違う人格が現れ、外からの状況に右往左往すると一番疲れるのは本人です

こういった人格の束を少しづつらすことが出来ると、今を感じる喜びとエネルギーが戻ってきます
(浄化の方法は、引寄せ(その2)もしくは新・引き寄せ-心のプリズム-(その4)を試してもらえればと思います)

浄化が進むと、過去や未来に縛られた自画像ではなく、今目の前に巻き起こってくるつ現象を見つめるのが自分という存在だという感覚が起こります

この感覚が生まれると、目の前に現れてくる現象がシフトアップします
それは天からのギフトです


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