Two Hats -気づく、ただそれだけ(後編 ナイナイ野郎の一撃)- 

7月2日の記事の結末は、完璧なまでのちゃぶ台返し!

非二元には取り付く島がない。話し合おうという気持ちもない!情状酌量というやさしい心がない!まったくない!

いやそもそも非二元には心が存在していないのか、、、

クッソ、非二元の世界には自分(マインド)の入り込む余地がない!

いくら非二元の門を叩こうとも、その門が開らかれることはない!

仕舞いには門番から「あなたはいない!」とまで言われる

「マインド様を馬鹿にするなよナイナイ野郎!」


肩を落として、とぼとぼと家路につくマインドの目に夕焼けの光が目にしみる

そのとき、ため息とともにポツリと一言、「わかっくれよー。ちょっとでいいんだ」

すると突然響く声、

(非二元)「わかってあげたら、あなたは消えるよ。それでもわかってほしい?」

(マその1)「えっ、わかっちゃったら?消える?いまここで? 今すぐだとちょっと困るなー。まだ夕飯済ませてないし、それからいくつか果たさなければいけない約束があるし。消してほしいけど、、、いまはちょっと、、、3日後の同じ時間にここに来ます」(彼が戻ってくることはなかった。。。。)

(マその2)「消えても結構です。何が消えるのかを私は見たい」



((マその1)の人はここから先を読んではいけない

非二元(以下、親しみをこめて「ナイナイ野郎」、でも99,もしくはNN様とは何の関係もありません)は、妥協してくれません

ナイナイ野郎の妥協のなさは、禅の警策(喝を入れる棒)のような威力があります

手を変え品を変え質問しても、「ピッし」とすべては否定されます

一枚一枚はがされ、段々と隠していた自我が丸裸にされていきます

段々と裸にされていくと、今度は自分でも何が問題だったかわからなくなって行きます

問題そのものよりも、問題に対する執着の方が強かったのだと気が付きます

そして、問題のちっぽけさを感じたときに、ナイナイ野郎との質疑応答は感謝で終わります

途中腹も立つこともありますが、でも最後に残るのは、大自然に出会ったような爽やかさです

悔しいけどナイナイ野郎には一本取られた、そんな感じです


大自然、この地球上には870万種以上の生物が存在します

これだけの生物が独立して、かつ共存を意識することなく存在していながら、一つの地球というシステムとして成り立っています

いったいどれほどの調和の作用が起こっているのでしょうか?! まさにミラクルです

人は大自然に出会った時その雄大さかつ美しいな姿に感動し、ちっぽけな自分に気づき、リフレッシュされていきます

大自然も100%あなたを受け入れていますが、それでも、決してあなたのマインドを理解することはありません

でも、その雄大さを知った時、それでいいのだと思います

なぜならマインドなどちっぽけだと思えるからです


そうです

気づかれたと思いますが、ナイナイ野郎=大自然なのです

自然には
 火山噴火、地震、台風、洪水、何が起ころうと良いも悪いもなくただ変化して行きます
 起きている事がただ起きているだけです
 そこには自分というエゴはありません
 時間は存在しません
 あるのは今だけです(自然の歴史を知るのは、時間の感覚を持っている人間だけです)
 そしていつもあなたを受け入れています

人だけが共存を訴えますが、人だけが自然の調和を崩しているのは事実です

人はまだ大自然の完璧さと調和していません

人だけが内なる世界と外の世界の不調和を抱えているからです

内なる世界に入り込み、間違って握りしめたマインドを手放し、消していくその作業が不可欠になる日が、誰にでもいつの日かやってきます

(ここまで読んで、「それが?」という方、期待にこたえられなくて残念・ゴメンorg 続きは読まなくてOK!

後半に入る前に、お断りですがここで話している問題とは、生きることを苦しくするような解決の難しい問題のことです
単純に解決できる日常の問題のことではありません(そういうことは放置しないでちゃっちゃと片付けてください

なぜ、「気づく」それだけで解決になるのか?

どうして、事実を事実と認め、そこに放置するだけでいいのか?

「気づいたなら対策をとる」、これが人としてのそして社会の習い性です

でも、気づいただけで何もしないというのは、人にとっては逆に苦痛なことだと、まず申し上げておきたいと思います

実際のところ、「人は苦痛から目をそらすために何かをし続けている」のがほとんどなのです(自身の実体験に基づく)

「気づくだけ」というのは「何もしないことによって、逆に問題/自我の本質を見る」ということです


「気づくそれだけ」というのは、私自身10年以上にわたる探求を終えた最後の方法です(これからも探究自身は続くかもしれません。なぜならそれが楽しいから)

これはブッタが見つけた瞑想方法であると言われています

ナイナイ野郎のジョーイ・ロットもどうやらこの方法をやったようです


まず、問題に対する向き合い方です

思考は問題を正しく理解していません

思考が出来るのは傷口の上に絆創膏を、何枚も何枚も張り重ねていくだけです

これは風邪薬と同じです。カゼ薬は症状をごまかすだけで、カゼそのものは直せません

アインシュタインは、「いかなる問題も、その問題を生み出した時と同じ意識のレベルでは、その問題は決して解決できない」といっています

マハラジは「自我を自分の中ではなく、自分に対して起こる何か外部の、異質な、あなたの上部に押し重ねられたようなものとして見る時だけ、それを越えることが可能だ」

科学者も悟りのマスターも同じ真理に到達しています

事実を事実と認めるが、違う次元からとらえてみる

問題に対して対策を取らないことで、とりあえず自分を無防備にするということになります


次は、無防備になった時に起こる様々な肉体的な感覚と、思考を見るということです

良い悪いをジャッジせずに起こる/出てくるに任せます

これが問題と違う次元にいるということになります

親が子を見守るような姿勢です


子供が何重にも重ねあわせた絆創膏をはがしていくと、そこには傷はなかったということを発見するでしょう。あったのは、傷ついたという思い込みだけです

マハラジは「マインドによって作り出されたものは、それが真実だと思う限りそれがマインドを支配する。しかし疑われた瞬間それらは消え去る」「偽物は発見された時に消える」といっています

闇は光を当てることによって消えていきます

大切なプロセスです

足し算の法則で解決しようとするのは絆創膏の重ね合わせです

引き算の法則での解決は、一つ一つ重ねあわされたマインドという絆創膏を消していくことです


これが「気づくだけ」ということです

問題を解決しなくても幸せになれる、もしくは問題はなかったということに気づくと、内なる世界と外の世界が調和していきます

これが正-反-合の最後の段階の”合”です

このあと、探求者は消えても探求は続きます

それはサプライズでありミラクルです


追記1:ナイナイ野郎は、一つのマインド(マその2)が消えていったのを静かに見送った。(マその2)に愛を送りながら、その喜怒哀楽をアカシックレコードに記録した

追記2:待っているナイナイ野郎 「ふぁー(マその1)の記録は来世に持ち越しかなー」


何か感じることがありましたでしょうか?もし何か感じることが出来たらお互いに大成功です。それを言葉にせずにそのままにしておいてください。言葉や理解、そして変化は後から勝手にあなたを追いかけてきます

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