Two Hats -気づく、ただそれだけ(前編)- 

気づきというのはとても繊細です

その繊細さは言葉では伝えられませんが

そっと、時には無言で、交流したときにエネルギーのようなものとして伝わり、同調して行くものです

これをするのがサットサンです

言葉を拾うのではなく、同調させることが大切です

気づきは光の法則、つまり引き算の法則だからです


(正-反-合という人生のサイクル)

(正:誕生)

生まれたときは無垢であり、ワンネスそのものです(非二元と言い換えられます)

そこから旅は始まります

(反:外の世界を学ぶ)

誕生のあと、赤ちゃんは五感があること、そして外の世界があることに気づきはじめます

だんだんこの世界には、さまざまな物理的、化学的、生物的、社会的ルール(生まれる前には存在しなかった因果関係)があることに気づきます

そのルールを知ること、身に着けることは、はじめはとても違和感のあることです

「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」「それはうそだ」「そうじゃないもっとこんな風」「知らないのは大人の方」(私の実体験)

しかし、反抗をしても得るものはありません(again 私の実体験)

人の五感の感覚を通して感じた、”生存への危機感”は、強迫観念を伴い、ルールの習得を迫ります

そうすると、もだんだん”生まれてきた源”に対するコネクション薄れて、生まれる前の世界を忘れて行きます

このときに否応なく押し付けられたルールは、後に成長してから、社会に対する適応問題として再浮上することになります。それでも、しばらくの間はそのルールを使って、人生を楽しむ、もしくは、やり過ごして行くことが出来ます

成長するに従い、そのルールを使うことで快適さを生み出せることも知ってきます

勉強、スポーツ、趣味、娯楽、ライフスタイル、飲食、ビジネス、交流、etc

何らかの達成をして行きながら、”達成した物事=自分”というフレームをはめて行きます

もちろん達成されないこともいろいろ出てくるでしょうが、その場合は失敗=自分と定義してしまいます

また「達成の不満」ということも起こってきます

つまり、「達成されたのに満足は長続きしなかった」「より多く、もしくは高いところのものを必要とするようになった」「達成して得られるものが、思っているものと違った」などです

この段階での特徴は、外の世界に対して行動し、外の世界を変えようとしているということです

そうこうしていると、願望達成の近道を見つける人がいます

救世主ジニーの発見です

アラジンのランプの魔人、ジニーは、人の潜在意識を意味しています

潜在意志の力を利用する方法は成功哲学や、引き寄せの法則で、多くの人に支持されています

イメージや願い事を潜在意識に上手に刷り込むととで願望が達成されるといいます

実際のところ、どうして?またどうやって?潜在意識がその願いを達成するのかは、説明及び理解はされていません

しかし、非科学の部分があっても、理由はわからなくても自分に利益だけをもたらしてくれるなら受け入れます

そして多くの人は引き寄せの法則で成功したと報告しています

私自身、成功哲学は30年以上昔ですが、ナポレオンヒルのころにやっていました


(ちゃぶ台返しが迷惑な人はここから先は読んではいけない)

(合:内なる世界に気づく)

実際のところ、引き寄せの法則がうまくいくとは限りません

方法論はしっかりと勉強したのに

そうすると、方法はわかっているんだから、”ジニー(潜在意識)”をうまく働かせていないのだと思いまじめます

そのため、いろいろなヒーラーにあったり、エネルギーワークーをしたりします

このあたりから段々と、達成派(何が何でも達成する)と幸福派(達成の目的は幸せになることだったと思い出す)に分かれてきます

しかし、そんな中、ちゃぶ台をひっくり返すメッセージに出くわします。目標どころか自分の存在そのものを吹き飛ばしてしまいます

 人生は幻想である
 良いも悪いもない
 起きている事がただ起きている
 それを自分がやっていると解釈しているだけ(行動が起こった後に、脳ミソが自分がやったと後付している)
 しかも、本当はそれをやていると思っている自分さえいない


完璧なまでのちゃぶ台返し!

この非二元の理解を、受け入れるか、見なかったことにして今までどおりのやり方を通すか、二つに一つです

最近、非二元の意見は段々と市民権を得ています

非二元から見ると成功法則はどうなるでしょう?

必ずしも一つの答えではないようです

トニー・パーソンズ、ジョーイ・ロットのような、宗教的な背景を持たない最近の非二元論者は、「そもそも成功した当事者などいない」、「単なるストーリー」といいます

立て板に水ですね。「ない」ものは「ない」という感じです

しかし、マハラジは必ずしも否定はしません。彼は強く思うことによってそれは起こる。しかしすべては幻想である。また掴み取った喜びは悲しみという対価で締めくくる、という趣旨のことを言っています

夢のコントロールは可能だ、けれどもそれにどんな意味があるだろう?しかも、築きあげた夢(カルマ)は、必ず解体作業が伴う、という意味です

今日の話は皆さんにとってはおさらいのような内容になったかもしれませんが、長くなりましたので続きはまた明日でも


何か感じることがありましたでしょうか?もし何か感じることが出来たらお互いに大成功です。それを言葉にせずにそのままにしておいてください。言葉や理解、そして変化は後から勝手にあなたを追いかけてきます


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