人はなぜ悟りたいのか

この世は3次元のゲームだとよく言われます

体験する設計を描いて、わざわざ不自由な生活をしてきていると言います

もしそうだとするならば、悟りとか、気づきとか、覚醒とか、そういったところから人生のヒントを得ようとするのはなぜなのだろう、そんな風に思ったことはありませんか?

もしも、この世界がゲームであるなら、100%ゲームの理論だけで生きていくべきなのではないか?

悟りとか、気づきとか、覚醒とか、それはゲームから逃げて、途中退場することになるのではないだろうか?



神との対話 第3巻にこんなことが書いてありました

ニール 「地上の考え方で考えるよりほかないじゃありませんか。私たちはいまここに、地上にいるんです」
神   「あなたはこの世界にいるが、この世界のものではない」



このように生きながら神を思い出そうとする

それは、川が海に流れ込むように自然なことなんですね



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