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つれずれなるがまま

マハラジからの言葉


ある質問に答えて、「あなたには誤りがある。あなたは内側を外側に見て取り、外側を内側としてみているのだ。」

・・・・・・・

「マインドと感情は外側にあるのだ。だが、あなたはそれらを最も内側になるとみなしている」

・・・・・・・

「あなたは世界が外側のものだと信じている。だがそれは完全にあなたの精神の投影なのだ」



感情こそがとめどなく寄せては返す波のように、外なるもの

世界こそが自分のDNAの投影

自分の投影した世界の中で、うたかたのように現れては消えていく出来事





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我々は常に100%引き寄せの法則の元に暮らしている

我々は常に100%引き寄せの法則の元に暮らしています


この言葉は、

 ワンネス

 私は神である

 外界は自分の内なる精神の現れである

などの言葉と同じ意味です



常に100%引き寄せの法則の元に暮らしているにも関わらす、我々は引寄せの法則を学ぼうとします

どこかおかしいですね?

これは、「自分の望んでいない出来事が起こっている」もしくは「望んだことが起こっていない」

という思いから引き寄せの力を信じなくなってしまっているんです

引寄せの法則をうまく使えないのではなく、自分の思考と自分の心の磁石が一致していないことが原因です


どんな出来事が起こっても、「我々は常に100%引き寄せの法則の元に暮らしている」という視点に立ってみることは大事です

その視点に立って、望まないことを引き寄せている自分自身がいるのだとしたら、それを認めることが大切です

理由を探す必要はありません

望まないことを引き寄せている自分自身がいるのだと認めるだけでいいんです

そうすることによって、内なる世界が変化し始めます

そして人生の主導権が自分自身に戻ってきます




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引寄せの(心の)磁石(錬金術)

「我々は常に100%引き寄せの法則の元に暮らしている」

昨日、「自分の望んでいない出来事が起こっている」もしくは「望んだことが起こっていない」のは、

引寄せの法則をうまく使えないのではなく、自分の思考と自分の心の磁石が一致していないことが原因だと書きました

自分の思ったような結果を出したいのであれば、自分の思考と心の磁石を一致させるほかありません


心の磁石とは、持って生まれたカルマや宿命も含む自分のDNAのようなものです

ですから、そんなDNA(心の磁石)を、思考の方に合わせるのは不可能です

出来ることは、自分の思考を心の磁石に合わせていくことだけなんです

どのようにしたら合わせられるかというと、

昨日のブログに書きましたように、出来事はすべて自分がひきつけたものとして、受け入れるということです

この受け入れの姿勢を別な言葉でいうと、サレンダーとなります


これは敗北のように見えますが、実はそうではありません

どんでん返しがあります

思考(自我)が、現象を受け入れたその瞬間に、つまり心の磁石を受け入れた途端、心の磁石が変容するのです

自我がサレンダーした瞬間に、磁石の曇りがその分だけ消えて、より強力な磁石として生まれ変わるのです

言い換えるとDNAアクティベーションが起こるのです

これを別な言葉で言うと、錬金術です

この錬金術によって、自我と心の磁石はその距離を縮め、心の磁石はより精密に強力になります

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無になる不安

サレンダーすることを妨げるのは信頼の他にもう一つあります

何にも取り柄のない人になりそうな恐怖です

普段知識を蓄えるというのは足し算の法則を使っていますので、その反対の引き算の法則を受け入れるには勇気がいります

いらない荷物を降ろしたときの爽快感を手掛かりに進んでいかなくてはなりません



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捨てる神あれば拾う神あり (アカシックレコードは福神漬け)

古い政府は新しい政府によって悪く書かれるというのは歴史のバイアスとしてよくあることです

政府に限らず、今問題となっている朝日新聞のような例もあります

しかしようやっと近年になって江戸時代が見直されるようになってきました

いま日本が文化として発信し誇れるものの多くは、江戸時代のもです

10年以上前ですが、江戸時代が気になって調べていたことがあります

浮世絵は西洋絵画界を震撼させ、特に印象派の画家たちには大きな影響を与えました
(浮世絵がなければ印象派の絵画は、今とは違った形になっていたことと思います。それほど大きなインパクトを与えたのです)

20世紀前半の空前のジャポニズムがあったのです

ジャポニズムがなければティファニーはなかったといっても言い過ぎではないかもしれません

しかし残念ながら、第一次世界大戦の勃発によって、ジャポニズムは政治的に封じ込められ記憶共々消されてしまいます



江戸時代は究極のリサイクル社会でした

いろいろ話はありますが、一つだけスピ話につながりそうなものを紹介させていただきたいと思います

江戸時代末期、農民は使い物にならない(売れない食べられない)野菜を川に捨てていました(実は豊たっだんです)

そうすると、川下でその野菜を拾い集めて利用する人が出てきました

拾い集めた人は、そのままでは食べられないので、味を付けて、ぐつぐつと煮込みました

それは大評判となり、その人は大きな財を成したと言います

その煮込んで売られた野菜の名前は「福神漬け」です

拾ったものに神の名前を付ける

何とも大胆ですが、全ては神であるという八百万の精神が捨てられた野菜に宿ったのかもしれません



捨てる神あれば拾う神あり



ここ数日で、サレンダーの話を書きましたが、サレンダーとは自我を捨てることです

この捨てられた自我は、神の手によってアカシックレコードに記憶されます

使い物にならない自我は捨てた瞬間に神に拾われ神の記録として生まれ変わります

アカシックレコードは福神漬と同じです

無駄にされるものは何もありません



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いまにある

幕末、多くの外国人が日本を訪れ、紀行記を残しています

ほとんどは日本の文化の高さ、民度の高さなどにつての驚きを記述しています

そしてなにより、庶民の子供たちが屈託なく良く笑うと書いてあるものもあります

また、江戸時代の人は「宵越しの金は待たない」ともいわれていました

つまり稼いだお金はパッと使ってしまうということです

現代人よりも、いまにいきる、ということに上手だったのではないかと思います


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観照と情熱は交互にやってくる

気づきの道を目指すべきか?

それとも

やりたいことをやって楽しむ人生か?


答えはその両方です


情熱は波のように訪れ、人を巻き込み、無我夢中にさせます

波にたわむれ、そして波が引いていくと、気づきがそこに現れはじめます

これを何度も繰り返しながら、限界を突き抜けていきます

自我を波、真我を海そのものに例えますが

波にもまれなくては、海の底に沈んでいては成長あはりません


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