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光の錬金術 -光の子たち- (その1)

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(シャスタモスブレアフォール 2012)

おはようございます
今日をここに来ていただきありがとうございます

以前の日記で「色即是空」の空の仕組みを、光に例えて説明いたしました

空とは、最後のワンピースをはめ込んだ瞬間に、忽然とその絵全体が消えてなくってしまうようなジグソーパズルです
消えてなくなったあとは、五感では感じられませんが、必要な情報の全てはそこ(アカシックレコード)に残っています

この空からすでに完成されているはずのものを取り出すのが、心と脳の役割で、それを錬金術と呼びます
しかし、望みを叶えるには、いくつものパラドックスが用意されています
例えば、「集めれば集めるほど減る」その反対に「分ければ分けるほど増える」などです
キリスト意識に近い感覚かも知れませんが、腑に落ちますでしょうか?

このパラドックスを見抜くことが本当の引き寄せです
そのためには、思考の偏りを知り、魂を磨くことは役に立ちます

光の仕組みに戻りますが、光は分光器という三角形のプリズムで、透明な光を何色もの鮮やかな色に分けることが出来ます
これは「分ければ分けるほど増える」例です

その反対に、様々な光の色を合わせると、透明になります
もしも透明な光を100色に分光したなら、その100色集めることで光はもとの透明な光に戻ることが出来ます
最後の一色をあわせたときに、そのほかの99色も併せてみんな一気に消えることが出来ます(光自身のアセンションです)
これは「集めれば集めるほど減る」例です

分光は現実化で、集光は原点への撤収、回帰です


物質と思考は、光と反対の特性を持っています

しかし、人間の中で、心だけが光と同じ仕組みを持っています
合わせれば合わせるだけ減り、分ければ分けるだけ増えます

心を合わせれば合わせるほど不安や、憎しみ、怒り、困難は減っていきます(原点回帰)
心を砕けば、砕くほど、配れば配るほど、感謝、喜び、感動は増えていきます(実現化)

これはすでに錬金術です

心には光と同じ性質がありますから、我々は“光の子”と呼ばれています
ですから、真我は自分の中にある、神は自分の中にあるといわれます

つづきます



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光の錬金術 -光の子たち- (その2)

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おはようございます
今日もここに来ていただきありがとうございます

昨日は、心と光は同じ性質を持っているので、人は“光の子”と呼ばれているというはなしをいたしました
これは宗教ではなくて、仕組みです
この仕組みを使って、より幸せになりましょう

また、物質と思考は、光や心と反対の特性を持っています
簡単に言うと、物質と思考は「足し算の法則」(増えたほうがいい)を使い
光や心は「引き算の法則」(減ったほうがいい)を使います

エゴは一番目の法則はわかりますが、二番目の法則は理解が出来ません
減らすことはそれ自身の消滅になるからです

これも昨日書いたことですが、
心を合わせれば合わせるほど不安や、憎しみ、怒り、困難は減らすことが出来ます
心を配れば配るほど、感謝、喜び、感動は増えていきます

この法則を個人の問題に当てはめてみたいと思います
最初の、「心を合わせれば合わせるほど不安や、憎しみ、怒り、困難は減らすことが出来きる」ですが、心を合わせるというのは、「心を開く」といいかえることもできます

心を開き、見せ合うことで、重ね合わせることが出来ます

「こころのプリズム」のシリーズのところでも書きましたが、心はいくつもの小部屋で仕切られています
それぞれの部屋は、喜び、ほのぼの、充実、満足、悲しみ、嫉妬、落胆など様々な部屋に分かれています
各部屋には、プリズムがついていて、このプリズムが外から入ってきた光を、それぞれの感情を表す光に変えます
心はこの光を感じ、響きます

「心を開く」、つまり、その感情を素直に認めて受け入れ、見せ合うことで、その部屋のプリズムが消滅します
認め受け入れることが出来た時に、生まれる前に約束してきた運命の一部を修了することが出来きるからです

自分の心の問題をいきなり他人に見せたりすると、びっくりされますから、そういうことが可能なワークに参加されるか、それも戸惑うようでしたら、鏡の前で自分に対してやってみることをお勧めします
もし、恐れずに、ありのままの自分を鏡の前の自分に見せることが出来れば、すごい効果があります。数日後には変容した自分に気づくでしょう

二つ目の、「心を配れば配るほど、感謝、喜び、感動は増えていきます」ですが、人に自分にしてもらいたいことをします(成功の法則でも言われていることです)
自分の心にある、喜び、ほのぼの、充実、満足といた喜びの部屋を使って、そこから外にエネルギーを出すのです
「与えるものが受け取るもの」「情けは人のためならず」は見返りを期待する言葉ではなく、因果の法則であり、宇宙の法則です

もし今、ポジティブな部屋をつかって、何かをしてあげられれば、その部屋のエネルギーを使います
天から無限に注がれているエネルギーは、真っ先にエネルギーが空になった部屋に補充されます
あなたに何か喜びがプレゼントされます

神様はどの部屋が空になっているかは区別していません
ハートに向けてエネルギーを注いでいるだけです

単純に、一番使った部屋が一番活性化するようになっています
このルールを好循環にも悪循環のも使うことが出来ます

こうやって心を使っていくと、どんどんとネガティブな部屋が減っていき、なんだかわからないけど、幸せになっていきます

更に進んでいくと、幸せはもっと増えていき、ポジティブな部屋さえも不要になっていきます

ポジティブな部屋さえも消え去ると、あなたの心は「空」になります

もう少しつづきます

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光の錬金術 -光の子たち- (その3)

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おはようございます
今日もここに来ていただきありがとうございます

物質と思考は「足し算の法則」
光や心は「引き算の法則」

昨日は「引き算の法則」を使って心を軽くする方法、「空」にしていくことを書きました

我々は、小さな頃、「足し算の法則」の法則だけを習います
頑張ったら、努力したら、その血と汗と涙の結晶で何かを得ることが出来るって
確かに“物質と思考”の次元ではそうかもしれません

心に「足し算の法則」を使うと、心にとって、これは大変な負担になります
心にも、我慢させたり、抑え込んだり、していろいろなものをため込んでしまいます
本当は素直に泣いたり、笑ったりして、心を“軽くする”ことが必要だったのに
心は“いま”にいるのが一番幸せです
心は記憶、蓄積させる装置ではなく共振させる装置だからです

思考の形成と、心のケアには違ったやり方があります

「思考」and「心」は一つでセットです

これを水の流れに例えると

まず「水が集まる様子」これが足し算の法則です
空にある水蒸気は、少しづつ集まり雲となります
そして、雨になるまで集まると、天から地上に降りてきます
地上に落ちた雨粒は次第に集まり、小さな流れをつくります、小さな流れは、さらに集まり川となります
川かさらに集まり大きな流れとなり、やがては海になります
水は“上から下へ”と足し算の法則を使って、大自然を形成します

次に「水が消えていく様子」これが引き算の法則です
海や湖にたどり着いた水、地面に吸収された水は、太陽のエネルギーを使って、蒸発し始めます。水としての形をなくし、少しずつ蒸発していきます
引き算の法則を使って天(下から上へ)に戻っているのです

天から集まる水、地上から天に戻る水、この2つを組わせて一つの地球です

人間、特に西洋文明は、思考という“足し算の法則”を使って、大自然の恵みを享受することには理解を深めました

でも、引き算の法則を使って天(下から上へ)に戻るという部分はあまり大事にされてきませんでした

上から下への足し算の法則は、「科学」
下から上への引き算の法則は、「宗教」や「非科学的」
なものと扱われたせいかもしれません

多くの課題はこの“下から上へ(引き算の法則)”の弱さが原因です
ようやく、このような課題が、一人一人がケアできる時代になってきたと思います

もう少し続きます

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光の錬金術 -光の子たち- (その4)

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おはようございます
今日もここに来ていただきありがとうございます

天から地上に集まる水(足し算の法則=思考の仕組み)
地上から天に戻る水(引き算の法則=心の仕組み)
(思考の仕組み)と(心の仕組み)は一つのシステムで、それをバランスさせながら生きていきます

人は雨粒として落ちてくるとき、肉体として誕生します
地上に落ちた瞬間から人生が始まります

地面をつたい、小さな流れに乗り、川にたどり着き、時には地面の下をもぐり、少しずつ大きな流れに乗っていきます

石に打ちつけられたり、高い所から落ちたり、地面の傾きで曲げられたり、池や湖で足止めされり、それでも海を目指して、下へ下へと進んでいきます

さらさらと音を立てたり、泥にまみれたり
一つ一つの水の動きは、人生のひだのようなものです


引き算の法則で、水を蒸発させ天に還して雲を作り、雨を降らせ、違う場所に移ることもできます

人は水の一粒でもあり、(ワンネスという視点で見れば)地球の水のシステムそのものでもあります


思考の仕組(足し算の法則)みばかりを使わずに、心の仕組み(引き算の法則)を使うと、天の計らいでてもうまくいくようになります


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光の錬金術 -光の子たち- (その5)

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おはようございます
今日もここに来ていただきありがとうございます

今日の話は願いごとの扉を開ける鍵を持っているのは誰かということです
この鍵を見つけ出し、状況を一変させるのが錬金術です

“空”とは、つまり人間の無意識まで含めた世界とは、最後のワンピースをはめ込んだ瞬間に、忽然とその絵全体が消えてなくってしまうようなジグソーパズルです
ですから、願いごとの扉を開ける鍵は自分が思っているようなところにはありません
(ですので、今日の日記を書くのはちょっとためらいました)

人生を生きていくなかで、多くの望みを持ちます
叶ったり、叶わなかったりしますが
本当の目的は、形ある何かを得るのではなく
魂を磨くことなので、どちらでもあまり変わらなかったりします
でも、同じ苦労なら、望みが叶いながら魂を磨きたい、というのが人情です

もし、望みをかなえたいのであれば、願いごとの扉を開ける鍵が必要です

その鍵は

鍵は望みを考えたときに、一番嫌いな人が持っている、もしくは一番苦手な状況の中にあります


もしも過去を受け入れることが出来れば、心のブロックは解かされ、(昨日の日記にありますように)雨となって望んでいる方向に進むための水流を作ってくれます
問題を避けるよりもこれが一番の近道です

だからといって、一番嫌いな人や一番苦手な状況に直接、立ち向かう必要はありません

ゆっくりと、時間をかけて、自分を受け入れて許していくだけでいいのです

だれかに話す必要もありません(もちろん話してもかまいません)

もし静かな時間があるのであれば、過去を受け入れ見てください

以前このブログに書いたやり方、引寄せ(その2)もしくは心のプリズム-(その4)を試してもらえればと思います


自分がブロックをはずした後は、気分を変えましょう

自分のポジティブな部屋を使って感謝、喜びを他の人に配るのが一番です

そうすると、待っている間、どんどん人生を生きていく自信が増えていきます

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光の錬金術 -光の子たち- (その6)

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おはようございます
今日もここに来ていただきありがとうございます

このブログでは、いろいろな言い方をしていますが、引き寄せについてお伝えしたいことは3つです
1)心に溜め込んで気づいてあげられなかったことに気づいてあげる(そうすると手放せる)
2) 心がすっきりしたら、人に小さな親切をする
3)心が軽くなったら、願い事を天に届ける

でも一度、自分がハット気が付いて、腑に落ちてしまったら、長い説明の言葉は不要です
「月を指す指は月ではない」(月を説明する言葉は月ではない)からです

気が付いたなら、どんどん言葉を落としましょう、そして、自分で気が付いたことが、自分の身の回りにたくさん起こっていることを観察してみましょう


ところで、1番目の浄化は引き寄せにおいてはとても重要です
以前、バシャール&引き寄せのところでも書きましたが
これをせずに、願望達成のイメージングをしても
願い事にまつわる、ネガティブなことまで願望にくっついて天に届いてしまうからです
そうするとコインの裏表どちらが叶うかわかりません

また昨日、「願いごとの扉を開ける鍵は、その願い事にまつわる一番嫌いな人が持っているか、一番苦手な状況の中にあります」と書きました

これは宇宙/悟りのパラドックスです

いやなことから逃げて、ただ願望をイメージするだけで願いが叶うなら、今頃みんなの望みが叶っていると思いませんか?

虎穴にいらずんば虎児を得ずといいますが、心の浄化の場合、虎穴に入らなくとも、自分の心の中に入る(内観)だけで十分です

最後に、願望成就のパラドックスを府に落としていただくために、昔から言われているお金持ちになるためのジンクスを紹介したいと思います

「トイレがきれいだとお金持ちになる」

皆さんも聞いたことがあると思います

物質の中では一番見たくない、触れたくないものが、物質社会の中で一番必要としているものとつながっている!

どうしてつながっているかはわかりませんが、物質世界では、究極の正と負のバランスですね

昨日の夜、また情報が降りてきました。このシリーズもう2,3回つづきます

皆様のクリックのおかげでじわじわとランキングが順位2桁台まであがりました。ありがとうございました。


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光の錬金術 -光の子たち- (その7)自分許しのゲーム

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おはようございます
ここを訪れていただきありがとうございます

今日は自分許しのゲームの話です
とことん自分を許すゲームです

人は一番自分のことを許していないものです
ですからとことん自分を許してみましょう

もし、自分が自分を許していれば、万が一他人から何か言われても、簡単にその場で解決が出来るような心のゆとりが生まれます
こだわりのなくしてしまった人を見ると、相手のほうの怒りも消えていきます

自分で自分を許すことが一番大切です
自分を許せるのは自分自身しかいません

このゲームは、夜寝る前や入浴中など、自分ひとりになれるときに、目をつぶってやってみてください
願望達成のために必要な浄化ができます

浮き上がってくるエゴと、自分の意識の会話です
浮き上がってきた考えのすべてに、「許す」または「受け入れる」といってみてください
エゴのいったことをオウム返しにして許してみてください

目をつぶって、自分の願望を考えたときに、浮かんでくるネガティブな考えやイメージを聞きます

以下、サンプルです

エゴ「そんな大きな夢をみたってがんばりきれないぞ」
自分「(そんな大きな夢をみたってがんばりきれないぞ)といっている、自分を許します」

エゴ「そうだ、いつも自分はがんばれないんだ」
自分「(いつも自分はがんばれないんだ)といっている、自分を許します」

エゴ「がんばりもしないで夢が叶うとでも思っているの?」
自分「(がんばりもしないで夢が叶うとでも思っているの?)といっている、自分を許します」

エゴ「許す許すって、許すだけで幸せになれると思っているの?」
自分「(許すだけで幸せになれると思っているの?)と疑っているいっている、自分を許します」

エゴ「許すだけだと?何にもしないんだぞ?それで何かが変わるのか?」
自分「(何にもしないんだぞ?それで何かが変わるのか?)といっている、自分を許します」

エゴ「こんなゲームやったって俺/わたしは、絶対自分を許せないのを知っている」
自分「(こんなゲームやったって俺/わたしは、絶対自分を許せないのを知っている)といっている、自分を許します」

はじめは願望についての反論が出てくると思います
次に、エゴは許すこと自身に反対してくるかもしれません
許してしまうとエゴの存在意義がなくなるからです
さらに、続けましょう、エゴを小さくするが目的ですから

エゴ「エゴ/思考がなくなったら不安だぞ、どうしていいかわからないぞ」
自分「(エゴ/思考がなくなったら不安だぞ、どうしていいかわからないぞ)といっている、自分を許します」

エゴ「いっぱいやらなければいけないことがあるんだ。許してたら忘れてしまうぞ」
自分「(いっぱいやらなければいけないことがあるんだ。許してたら忘れてしまうぞ)といっている、自分を許します」


これはゲームですから、どこまでも許し続けてください
そうすると、突然エゴが静かになって、心地よい“いま”が現れます

もしかすると、ドッキとするイメージや音、言葉が出てくるかもしれません
もしそうだとすると、心のしこりの中ボスか大ボスです

逃げ足が速いのですぐに消えていくかもしれません
そのときの感覚や、体のキュンときた部分を覚えておくとあとで、浄化しやすくなります
もし見失ってっても、自分許しのゲームをすればまた必ず現れます

エゴ「今見えたの怖かっただろう」
自分「怖いと思った、自分を許します」


エゴと戦っても勝ち目はありません
なぜならそれは、それは自分自身の影だからです
鏡に映った自分にパンチは出来ません

出てきてくれたことに感謝し、許しましょう

存在に気づけたのですから
そうすれば消えて行きます

このゲームの時間は長くても短くてもいいです
好きなだけやった自分を許しましょう

とことん自分を許すことで、浄化は進みます
そして、自分自身を知ることが出来ます

つづきます

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光の錬金術 -光の子たち- (その8)鏡の向こう側

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おはようございます
ここを訪れていただきありがとうございます

昨日お話しした自分許しのゲームぜひやってみてください
とことん自我に付き合ってあがるのです
エゴに一方的にしゃべらせて、それを許して、受け入れます

エゴがしゃべることで、いろいろな感情がわいてきます
それをただ許すといい続けるだけですが、それがものすごい浄化になります
柳のように受け流すのが一番強いのですから

自分許しのゲームをやっていると、心の静寂がやってきます
エゴに話をさせ、エゴが疲れ果てると、とても静かな状態がやってきます

このゲームは静かな心の境地を感じるのにもとても有効です

このゲームを続けていると”日常生活”の中で
今まで見えてみたものが、色あせて見えるようになるかもしれません

今まで興味があったものに興味を持てなくなったりします

また、これまでのように感情的に反応しなくなった自分に気づくかもしれません

周りの世界はいつもどおりですが、世の中の動きにつられて、心に波風が立ちません

自分の人生が、他人ごとのような感じがするかもしれませんが、これはいい兆候です


同じだけど何か違う世界に来た気分です

そうすると、もうひひとつ違うものに気づくと思います

ちょっとワクワクするような

何か新しいエネルギーのようなものが舞い込んできた
新しい設計図、新しい種が植えられた感じがします

それが、何かはわかりません

でも、確実に芽を出して大きくなる感じがあります

そして新しい現実が少しづつ近づいてくる感じがすると思います


何かワクワクすることが向こうから“勝手に”やってくるような感じがしたら、それは“引き寄せ”です

新しい波動があなたに降り注ぎます


ギフトはサプライズです

期待を手放して、流れにゆだねましょう

やってくるギフトは自分お思い通りかもしれませんし、そうでないかもしれません

でも、わらしべ長者の話を思い出してください

お任せしていれば、ステップアップしていきます

心を軽くして、鏡の向こう側に抜けて見ましょう

ヽ(´▽`)/ランキング参加しています。宜しくお願いいたしますm(_ _)m 

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光の錬金術 -光の子たち- (その9)お金

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おはようございます
ここを訪れていただきありがとうございます

「アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話」の本のなかで
マハラジは情熱を持てば願いは叶うということをいっています
マハラジのような覚者が願望実現を語るのは珍しいことだと思いますが、マハラジは、個人の願いであれば、個人の力の範囲で叶う
社会や世界のためになる願いであれば、多くの潜在意識が味方して、より多くの力を授かるといっています

このシリーズ最後に、お金について考えてみたいと思います

シリーズの中で
 物質と思考は足し算の法則(集めれば集めるほど増える)
 光と心は引き算の法則(配れば配るほど明るく、幸せになる)
という説明をしました
余談ですが、物質と心は法則が反対ですから、「物質を集めても、幸せになるとは限らない」ということがわかります

お金は物質ではなくエネルギーです
ですからお金自体は、光と心と同じ、引き算の法則が当てはまります
お金で手にいれた物質は、足し算の法則を使いますから、お金も足し算の法則が当てはまるような勘違いをしてしまいます
お金は自分と別のものというよりは、人生を運ぶエネルギーのようなものです

ですから使えば使うほど入ってきます
光と心と同じように、扱って大切にするとまた戻ってきます

お金は、大我の願望をかなえるエネルギーが流れるようになれば、大きなお金が入ってきます
大我にあれば、お金の大河に乗ることが出来ます

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月に向かってぶら下げるにんじん

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おはようございます
今日もここに来ていただきありがとうございます

クリシュナムルティは、「なぜあなたは傷つくのか?それは自尊心があるから、ではありませんか?そしてなぜこの自尊心があるのでしょう?それは自分自身についての観念、イメージ、自尊心を持っているからです」
といっています

我々は、小さな頃からアイデンティティをしっかり持つように言われています
ビジネスの成功法則でも、また成功法則でもよく見かける原則です

アイデンティティは何かの目標に向かうのには非常に役に立ちます
しかし一方で、このアイデンティティが、人を不幸にもします

人は、アイデンティティのセットした目標と現状の差で、自分自身を評価します

アイデンティティがあるがゆえに幸福ともいい、不幸ともいいます

成功してもアイデンティティの目標は高くなりますから、幸福は長くは続きません

アイデンティティは馬の鼻の前にぶら下げた人参のようなものです

そしてまた、アイデンティティはコインのようなもので、必ず同じ大きさの表(幸)と裏(不幸)がバランスします



数日前、松山千春がテレビで言った内容が大きな反響を呼んでいます

「それと一番、お前たち若い人間に足りないのは、見返りを求めすぎる(ことだ)」

「見返りを求めようとすると、どうしても苦しくなる。周りが信用できなくなる」

「見返りさえ求めなければ、あなたは、あなたのままで、清らかなままでこの人生を歩いて行くことができる」

この言葉は若い人というより、物質文明にまみれた、中年、高年の人の方に当てはまるような気もします


挫折や失敗によるアイデンティティの喪失、これが気づきへの大きな一歩になることがあります

アイデンティティを失ったときは、脱皮したばかりの蝶や蝉のように、ともても弱々しく不安に感じます。何とかしなければと思います
しかし何もせずに、じっとしていれば過ぎていきます
それと一緒に不幸も取れていきます
余計な抵抗はしないことです

そして次にすることは、
個人的なアイデンティティを

人のためでも自分のためでもなく、もっと社会的な、もしくは全体的な、一つ次元の高いものにする替えていくことだと思います
これが松山千春の言う見返りを求めない姿と同じだと思います

物質に向かってぶら下げていたニンジンを、月(悟)に向かってぶら下げるんです

失敗というチャンスを逃さなければ出来ます

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心を亡くす

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おはようございます
今日もここを訪れていただきありがとうございます

ところで、「忙しい」というのは心を亡くすると書きますのであまりいいことではないと思っていました
忙しい忙しいといって生活を送くるのは心無い行為だと思っていたのです

しかし、最近、忙しいというのはマインドがおちた状態で、他人に迷惑さえかけなければ、実はいいことなのではないかと思うようになりました

心を亡くする=マインドのない状態、です

何か自分にとって不都合なことが起こって
ネガティブな考えに陥りやすいときは

自分の呼吸を数えてみるなど、これまでこのブログの中でお伝えした方法のどれかをやってみるというのもありますが
とりあえず忙しくしてみるというのもありだと思います

部屋の掃除なんかもいいと思います

体を使っていると、思考に集中できなくなるからです

一度、何か体を動かした後に、さて何の問題だっけと人事のように自分に聞いてみたり、自分の好みの浄化のテクニックを使ってみたりするのもいいかもしれません

時間がいっぱいあるときのほうが悩みが深刻になるような気もします

上手に忙しくするというのは魂を磨く上でもとても役に立つのではないかと思います

日常生活の所作を大切にするというのも、心の管理にはとても役立ちそうな気がします

昔の人が作った日常生活の習慣っていっぱいいいところがあったのかもしれません

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アイデンティティというにんじん

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こんちには
今日もここに来ていただいてありがとうございます

今の経済活動は、人間のアイデンティティというエネルギーを使って成り立っています
衣装、装飾品、車、住まい、etc. そういうものはもちろん必要ですが、むしろ「そういうものを所有している自分になりたい」という情熱の方が強くなっています

売る側もそうです
よりすばらしいブランドを作り出し、よりアイデンティティを刺激して商売をなりたたせます

しかし主有する喜びは一瞬で終わってしまいます
生活の必需品ではない場合、ものと心の喜びが一致する瞬間は本当に短いです

次なる、所有欲を持つことで、また自分をがんばらせるのかもしれませんが、終わりのない、欲のサイクルの中にはまり込みます

ですから、ほしいものをイメージングするだけの成功法則は、実はとても危ないところがあります
売る側にとって都合のいいルールになりかねません

一昨日書きましたが、アイデンティティは何かの目標に向かうのには非常に役に立ちます
しかし一方で、このアイデンティティが、人を不幸にもします
アイデンティティのセットした目標と現状の差で、自分自身を評価してしまうからです

アイデンティティは「自分は特別である、もしくは他とは違う」という意識ですから、心の平安である、ワンネスや悟りの境地とは違うところにあります
アイデンティティがある限り、何かを追いかけていますから、今にいることを難しくします

アイデンティティは馬の鼻の前にぶら下げた人参のようなものです


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宇宙/悟りのパラドックス3 -八方ふさがレ-

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おはようございます
ここを訪れていただきありがとうございます

最近のスピリチュアルの動きは、現存している宗教というより
天性のインスピレーションに動かされた人たちが主な原動力になっています

なぜ宗教は、悟りにつながらないのでしょう?(もちろんすべてのではありませんが)
ひとつには宗教が悟りよりも、その組織の存在と拡大を優先したからというのがあると思います
参加する人ににとって、その組織が心地いいのであれば、(悟りにはつながらなくとも)それはそれでいいと思います

もうひとつは、(これが今日の本題ですが)例えば禅宗のように、悟りを目的とした宗教や団体であっても、確立された方法を学問のように取り組んでも悟りは得られないというところにあります

悟りは学問という既存の枠を超えたところにあります

お釈迦様は、当時の修行僧が行なっていた難行苦行をされましたが、そこから得られた答えは、難行苦行からは悟りは得られないということでした

それでも、修行というのは、それを通じて悟りは得られなかったということがわかるところに意味があります

どういう意味があるのか?

つまり、すべての方法をやりつくしたけど悟れないとわかった瞬間、八方ふさがりだとわかった瞬間
今まで握り締めていた自我を心から手放す気持ちになります
そして、そのとき次元上昇することができます

自分が握り締めているアイデンティティを手放す気になるというのがポイントです

なぜ神様が八方ふさがりにするのか?
それは、ほっておいてたら手放ぜない、硬い自我をその問題の中に持っているというサインです

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後悔後にも立てず

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おはようございます
ここを訪れていただきありがとうございます

宮本武蔵は「我事において後悔せず」という言葉を残しました
臨終の床にあった武蔵が、最後の力を振り絞ってしたためた「独行道」と題された二十一か条のひとつだそうです

こういう言葉を残すのですから、逆に言うと、剣豪ですらずいぶんとくクヨクヨながら生きたのだろうなと思います
もちろん剣豪には、凡人にわからない苦しみがあったと思います

この言葉は、宮本武蔵が生かされている大きな流れをつかんだときのような言葉に感じます

もう少し現実的な言い方をすると「われわれは大きな流れに乗って生かされているのだなら、後悔なんかしているだけ時間の無駄」という感じです

最近、小林ひとりさんが、「何か悪いことが起こったということは、悪いカルマが出てき完結した瞬間だから感謝しないといけない」というような主旨のことを言っているのを聞きました

つまり、悪いことが起こったときは悪いカルマが燃焼し消えた瞬間なんだから、それに感謝して、ただ前に進んでいけばいいんだと

その反対に、悪いことが起こったときに、その原因は何だったとか、今後同じことが起こらないようにするにはどうしたらいいのかとか、あれこれ後悔したりクヨクヨしたりしていると、消えるはずだったのカルマも消えなくなってしまいます

ですから、後悔先に立たずといいますが、後悔は後にも立てなくていいんです

自分を制限しているものから自由になりましょう 

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網戸(”外の世界”と”内なる世界”のはざ間)

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おはようございます
ここを訪れていただきありがとうございます

起こったことは振り返らない(後悔後ろに立てず)、これから来ることは風まかせ(八方塞がってもOK)、自分を大きくも見せず小さくもならず(無駄なアイデンティティは捨てる)

それから、出来る範囲で人に小さな親切をする

こんな風にやっていると、とっても楽に生きられます

脳と心の一人紙芝居(時間がありましたら、「心のプリズム-(その1)」をご覧ください)をさせずに、思考は目の前に何か起こったとき、何かしなければならないときだけ使います

本当にラクチンだなーと思います

出来事はやってきては、自分を通り抜けて過ぎ去っていきます

通り抜けるときに、いろいろな感情がわきあがります
体が出来事を味わいます
そして、出来事は体を通り過ぎていきます

良くても悪くても感情がわいてきたら、ただそれが通り過ぎるまで待つだけです

そうすると、透明な体を出来事がすり抜けていく感じがします

こうやって気楽に生きてみると、いまやらなければならない事に対してもりもりとエネルギーが出来てきます

また、脳と心の一人紙芝居が、不幸を作り出さなくなります

不幸がなくなると、人は自然に幸せに戻っていけることがわかります

あー網戸みたいに、”外の世界”と”内(家)なる世界”のはざ間にいるのだなと思います

網戸の目詰まりを掃除して、お任せして生きてみると、そのほうがむしろ生まれてきた目的を果たせているような気がします

体ってすごい高性能の乗物(UFO)です

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覚醒

おはようございます
ここを訪れていただきありがとうございます

心と体が透明になっていくと、だんだんと周りのものがきれいに見えてきます

今この瞬間の一体感がわきます

そうするとなんともいえない幸福感が沸いてきます

幸福感が沸いてくると、そがもっと幸福感のある状況とつながっていきます

そうするとポジティブな連鎖が始まって、わらしべ長者のように成功していけます

成功することをあせってしまうと、今ここにあるものを素直に見て喜ぶということは、子供だましのように感じるかもしれません

そんな人は一足飛びに成功にたどり着きたいと思うのですが、実はそんな近道はないのです

今目の前にあるきらきらを通じて、大いなるエネルギーが流れてくるからです

今目の前にあるものが輝いて見えないのは、本当に目の前にあるものを直接見ていないからです

目の前にあるものに、エゴの不満とか欲求とか希望とかそういう感情の重み/色眼鏡をつけて、見ています

まず一人のときに、昨日お話しした“網戸”になってみてください

そしてそれがうまく出来るようになったら、他の人といる場面や仕事場でやってみてください

だんだんとうまくできるようになりますし、いらない思考を使わなくても、仕事や生活が出来るというのが理解できると思います

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無限と有限の狭間にある変換機

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こんにちは
ここを訪れていただきありがとうございます

4月15日の皆既月食以来、一昨日のウエサックの満月まで非常に大きな変容が続いていました
そしていま、ウエサックの満月以来非常に大きな至福を感じます

これからまだ変容は続きそうですが、より新しい時代が形作られるプロセスです

皆さんもぜひ、ウエサック以降の大きなエネルギーを感じてみてください

一番いいのは呼吸を使って思考を止めることだと思います

一昨日、「網戸」の話をしました
人間は”外の世界”と”内なる世界”の狭間にある存在、つまり、人間は、空という無限から流れ込むエネルギーを、有限という物質世界に変換する、変換装置です

人間は、無限と有限の狭間の変換機ですから、心のプリズムを磨きさえすれば、自分の望む現実を引き寄せることが出来ます
(「心のプリズム」、「光の錬金術」シリーズもご覧ください)

思考も物質の一つです
なぜなら、どちらも有限世界におけるひとつのエネルギーの形態だからです

物質の引き寄せには心のプリズムを変容させる必要がありますが

思考の変容であれば呼吸を使って行うことが出来ます

この週末、落ち着いた時間の取れるとき、もしくは気分のいい時に、スースーという音に集中して(スースーと言いながらやってみるのもいいと思います)、言葉を使わない体を感じてみませんか?

そこに幸福感があれば、それは真我に触れたからです
真我はいつも幸福です


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無限と有限の交換機 -呼吸と気づき-

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こんにちわ
ここを訪れていただきありがとうございます

昨日お伝えしました、「呼吸に意識を合わせる」ことはトライされましたでしょうか

呼吸と気づきは、とても似た関係にあります

呼吸は普段しているときに意識することはありません
でも、ちょっとした拍子に呼吸に気づきます

とても素晴らしい景色を見たとき、激しい運動をしたとき、驚いた時などです
思考が途切れた瞬間、自分の呼吸に気づきます
それは突然やってきます

気づき/悟りも同じです
気づこうとしても気づけませんが
気づきは突然向こうからやってきます

呼吸に気づくと、意識して呼吸をします
意識して呼吸をし始めると、今度はどうやったら無意識に呼吸を戻すことが出来るのか不安/不思議になります
気づきも同様に、気づいたのはいいけど、その気付きを使って日常生活をやっていけるかどうか戸惑います

意識して呼吸をしていても、いつかはその呼吸を忘れます
呼吸が意識から無意識に沈み込む瞬間は、人が思考に心を奪われたときです

呼吸によってエネルギーが高まると、また思考は活動を始めるからです


悟りの体験をした人は言います、「(悟る前より)我々はずっと悟っていた」と
それは、呼吸を意識した人が、「(呼吸に気づく前から)我々はずっと呼吸していた」というのと似ています

呼吸と気づきの特性、リズムはとてもよく似ています


呼吸というのは古来、日本において武道に限らず、”道”と名のつくものにおいて大切にされてきました
呼吸の持ち方が、意識を変容し、集中力を高め、勝/成し遂げるための境地を見出すからでしょう

呼吸は無限と有限の交換機です

人は99.99%以上、無意識に呼吸しています
今まで無意識にしていた呼吸を、意識にひき戻し、生活と調和させることで多くの変容が現れます


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情けは人のためならず

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おはようございます
ここを訪れていただきありがとうございます

「情けは人のためならず」という諺ですが、情けをかけると相手を甘やかすことになるので、結局は相手のためにならない、と誤解されることがあります

ご存じのとおり、人に情けをかけることが自分のためになることという意味です

今月は5月ということもあり気分の重い方もいらっしゃるかもしれません

重い気持ちは、それと直接対決して、軽くしたり消したりすることはできません

ですから気分を変えることが大切です

その気分の替え方として、「情けは人のためならず」を使って、自分に負担のかからない範囲で、人に小さな親切をすることが一番だと思います
たとえば、買い物をしたときに笑顔でありがとうと言うとか、そんな程度の小さな親切です

気分を重くしているのは、自分の中にある一つの人格です
それは責任感だったり、頑張り屋さんだったり、正直者だったり人それぞれです


その人格に占領されるとつらくなります
そこで、人にちょっとした親切をしてみると、違う人格が現れてきます
(ちなみに、ひとはだれしも多重人格です

そうすることによって、
気を重くする人格をちょっと客観的に見られるので、心を重くする人格から距離を置くことが出来ます
また、人に親切にすることで心のプリズムを磨くことが出来、ポジティブな循環を作り出せます

ほとんどの人には、気分を重くする人格を嫌っているけれど、実はそれがなければ社会を渡っていけないという誤解があります

その人格の肩の荷を少し下してあげましょう

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宇宙/悟りのパラドックス4 左の頬を打たれたら、右の頬を出す?

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こんにちは
ここを訪れていただきありがとうございます

今週末は意図的に心の底からネガティブな感情を浮き上がらせ、浄化させていました

昔は、そのわき上がるネガティブなものを見つめて、感じることで浄化させていましが、最近は瞑想を活用することで、すばやく手放すことが出来ます


イエスは「左の頬を打たれたら、右の頬を出せ」といいました

以下、新・旧約聖書の言葉を引用します

あなたがたも聞いているとおり、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい

あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい

人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない



これは処世術ではなく、浄化の方法のひとつです

今風にこれらの言葉を言い換えると

  1. 何か悪いことが起こったときは、消す予定だったカルマが現象となって現れただけだから、素直に叩かれることで、カルマを終わらせよう。反撃するとカルマは消えないからまた、同じ様な目にあってしまう
  2. もしも、左の頬を打たれただけでカルマが消えていないなら、右の頬を出して全部カルマを消してもらおう。もしも、左頬だけでカルマが消えたなら、右頬は殴られることはないだろう
  3. 災難にあったときは、何らかの方法で、失ったものを取り戻そうとするのはやめよう。なぜなら、今カルマが消えたのだから
  4. どうせだったら、上着だってあげちゃおう。カルマをとってくれたことに感謝して(情けは人のためならず)

この世界は幻想だといわれて言います
すべては自分が描いている筋書きです
映画マトリックスのように

そう思うといやな出来事も受け止められるようになります

スクリーンのルールと、映写機のルールが違っています
ですから悟りはパラドックスになっています

スクリーンの上にいても、映写機のルールを使うと、次元アップします

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一切皆苦

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こんにちは
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仏教の教えの中核には無常・苦・無我があるといいます

・無常:森羅万象の全ては常に変化している
・苦:森羅万象は苦である
・無我:森羅万象の全てには永遠に固定された我は無い

というものです。

森羅万象は苦であるは、一切皆苦もしくは一切行苦といわれます


それでも、ブッタがこの言葉を発してから、多くの人が喜びを享受して来ました

ブッタは単純に、すべてが苦だとは言っていないんですね

正しくは一切皆苦といったのは、すべての事柄にはすでに苦となる種が仕込まれているという意味です

喜ばしい出来事があっても、森羅万象の全ては「常に変化」しているので、その喜ばしさゆえにいつしか苦しい出来事が起こってしまいます


これはコインに例えられます

コインには必ず表と裏があります

表を受け取ると必ず、裏も付いてきます

コインの表側だけを受け取ることはできません

しかも、裏と表の大きさはどのコインも一緒です

この世界が陰と陽、善と悪、2つの相反するもののバランスで成り立っているというのが二元論です

つづきます

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一切皆苦(その2)

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こんにちは
ここを訪れていただきありがとうございます

一切皆苦を説明するのにコインを使いました
コインは望み(欲)とも言いますし、自我ともいえます

コインの大きさは望みや自我の大きさに比例します

人は何枚ものコインを持っていますが、テープルの上に載せてあるそれらのコインすべてが表を向いているわけではなく、表を向いているものもあれば、裏を向いているものもあります
表を味わった後は、ひっくり返って、裏が出る仕組みになっています
その逆もしかりで、貧乏くじだと思っていたものが、ひっくり返って幸運に成ることもあります

マハラジに次のような言葉があります
「魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。そして時間がすべての感情を決算する。バランスの法則が究極の支配をする」

すなわち、表が出た後は、裏が出る。裏と表の感情があわられるのは時差があるが、決算すればそれはバランスする、といっています

では、一切皆苦なら生きる意味はどこにあるのでしょう?
それは、一つ一つのコインを消化させ、欲や自我を乗り越え、魂を磨いていくことだと思います

あともうひとつ、とても大事なことがあります
魂のレベルが上がれば、表も裏も幸せなコインを手に入れることが出来ます
そのコインには

表には、人の幸せを願う、と書いてあり
裏には、人の幸せを願えたら、同じ幸せが自分にも帰ってくる、と書いてあります

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マザー・テレサ

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こんばんは
ここを訪れていただきありがとうございます


カルカッタにあるマザー・テレサの「死を待つ人の館」をご存知の方も多いと思います

マザー・テレサは道端で誰にもみとられることなく死んでいく人たちを、この施設に連れてきて最期を看取ったといいます

身体をきれいに洗ってもらい、生まれてこのかた飲んだことの内容な薬をもらい、看護してもらったそうです

道端で、身の上を呪っていた人たちが、「ありがとう」といって亡くなっていったそうです



誰かがマザー・テレサに質問したそうです

カルカッタには薬と看護さえあれば、命を取り留められる人が他に沢山います。なぜ助かる見込みのない人を助けるのですか?

マザー・テレサは言ったそうです

何も助けがなければ、社会を恨んで死んでいく人たちが、「神様はいらっしゃる」といって、それまで憎んでいた人のことをゆるし、人の尊厳を感じて死んでいきます。そのために薬を使うことは無駄でしょうかと

マザー・テレサは肉体の延命ではなくて、魂の浄化と進歩を大切にされたのですね

これを聞くと、魂を向上させる機会が与えられていることに感謝できます



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サレンダー

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最近成功哲学の本を読んでみました
ずいぶんと昔はこの手の本を読み漁りましたがここ数十年ほとんど読んでいませんでしたが、このブログでも成功法則を扱うので久しぶりに読んでみようと思いました

なぜ読まなくなったかというと、理由は2つです
1)正しい願望を知らないことが多い
これは何度かこのブログでお話していますが、心の傷を隠すための願望は叶いにくいものです。むしろ間違った願望は心の傷をさらに覆い隠すという逆効果、遠回りの人生になることがあります
2)本当にかなえられる願望は、マニュアルを使わなくとも吸い寄せられるように叶う
これもこのブログで書いたことですが、本当に叶う願望は、小細工せずとも叶っていきます。むしろ、流れに身を任せる(サレンダー)ことが大事です。そうするとやるべきことはぐんぐん具体化していきますし、それに対するやる気も出てきます

その最近読んだ本に、面白いなと思ったことが書いてありましたので紹介させていただきます

その本には、怠惰な願望を持ってはいけないと書いてありました

例えば「数十億円のお金を手に入れて、ビーチーで優雅に寝転んで人生を送る」という願いをしたとすると、今すぐ実現可能な、「寝転んで人生を送る」という部分が潜在意識に届き、怠惰な部分が現実化し、かえって社会生活を難しくする、と書いてありました

しっかりと成功法則の問題点を書いてあったのでいい本だと思いました


単純にイメージすれば叶うというのは危険性が含まれています

だからといって、複雑なマニュアルを使ったり、複雑な分析をしたりしてまで成功法則を使って行こうというのは個人的には好きではありません

簡単に生きて行くのが、一番と思います
悪いことが起こっても、これは自分の引き出した運命なのだとサレンダーし、気づきを得る
いい事が起これば、神様ありがとうといってそれに従う

これが、わらしべ長者になるコツだと思います

シンプルにしていくことは近道でもあります

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問題人格を武器にする(その1)

こんにちは
ここを訪れていただきありがとうございます

だれしも自分の中で好きなところ嫌いなところがあると思います

そして、嫌いな自分(人格)はできるならなくなってほしいと思っています

でもなかなかその嫌いな人格はなくなってくれません

それは、実は自分自身がそのいやな人格によって守られている時があるからです

攻撃的な人は、その姿勢を示すことで、都合の悪いことが近づかないようにしていますし、内気だと思っている人は、自分を表現しないことで波風を立たせずに済ませようと思っています

自分では、ネガティブ脱兎持っている人格に守られてる自分がいることに気づくことは大きな進歩です

もし誰もこの世になかったとしたら、誰も自分を変える必要があるとは思いません

サルトルは「他人は地獄だ」といいました
他人を意識したときに、人は不幸になります

もし、周りの人は全てロボットであなたに反応することはあっても、あなたのことを記憶に留めないとしたらどうでしょう

全ての不幸を手放せそうな気がしませんか?

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