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お前はお前でちょうどいい 良寛 (ストーリ3)

おはようございます
今日もここに来ていただいてありがとうございます

昨日は内観編と口論編の2回に分けて、「お前はお前でちょうどいい」を話ましました

今日は3つ目のストーリーを書きたいと思います

3つ目のストーリーは何か”いいこと”が起こった時に使うものです

人から褒められたり、感謝された、何かいただいた、願い事をかなったとき
日本人はつい謙遜したり、遠慮したりします

そんな時に言いましょう「お前はお前でちょうどいい」

そうすると、天からのギフトをすっと受け取れるようになります
そして次の瞬間に自分は宇宙から愛されていたんだと気付きます
宇宙とのパイプが太くなります
運が良くなります
もっと導かれるようになります
幸せになります

ぜひやってみてください


ところで、良寛さんは死ぬ時に「まだ死にとうない」と言ったそうです
この言葉を聞いてジーンと来るものがあります

「なんだ悟ったって大したことないな」と思いますか?
そうかもしれません

でも、大悟された人が、死に際に「まだ死にとうない」と思えるんです
人生というのは、自分の想像を超えてずっとずっと大きなギフトが待っているのだなと思います

喜びへの気付きは尽きることがないんだと
嬉しくなります


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お前はお前でちょうどいい 良寛 (ストーリー2)

この前の日記で「お前はお前で丁度いい」という言葉を使って内観する方法を書きました
これは無駄にエネルギーを使わずに浄化を進めるのに役立ちます

もしもこの方法を使わずに、心と脳の妄想に任せたとするとどうなるでしょう?

その場合、心配事が自分の中でかってに大きくなり、何か行動を起こさずには要られなくなります

自分が行動を起こすということは必ずそれに巻き込まれる誰かがいます
相手のために良かれと思って何かをやっても、自分の思ったような反応が相手から得られない場合もあります
口論になるかもしれません
長い長い口論の末に疲れ果てた頃、その口論は終わります
口論が終わった頃、仕掛けた本人はこう思います
「あれ、この喧嘩の原因は何だっけ?」

内観の道でも、口論とうい道を選んでも、得られる結果は同じです
それは、一番初めに心に浮かんだ"心配"がなくなったということです

もちろん内観の方が、無駄なエネルギーも使いませんし、新しいカルマも生み出しません

しかし、もしも口論してしまってもそんな経験を許してあげましょう
それも自分に必要な人生経験だったんです
そして、こう言いましょう「お前はお前で丁度いい」


お前はお前でちょうどいい 良寛

今日から3泊4日の旅行に出ています

今まで一気に気づきにまつわる仕組みのようなものを
書いてきました
ちょっと小休止して徒然なることも書いて見たいと思います

日常生活を送っていると何か突然不安な気持ちになったり
することがあります

何か飛び込んで来た情報を題材に心と脳が勝ってに会話を始めてしまうからです

そんな時、良寛さんの「お前はお前でちょうどいい」という言葉を
何回かつぶやいてみます
しすると脳と心の自動的な会話が止まります
こちらに注意を向けます

すると「この心配事が自分にちょうどいいだと?」反抗してくる何かが出て来ます

すかさず「お前はお前でちょうどいい」といってみます

そして、その2つの感情が交わって行くのを見つめます

傍観者になります

しばらくすると、心配してたことが何だったか思い出せなくなります

心配とはこんなもんだったりします
でも放っておくと心と頭が妄想を始めて巨大化させます

これだけで浄化が進みます
だんだんと心配事が減って行きます

日常のちょっとしたことのなかで自分を受け止める練習をしてみるのもいいですよ