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一切皆苦(その2)

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こんにちは
ここを訪れていただきありがとうございます

一切皆苦を説明するのにコインを使いました
コインは望み(欲)とも言いますし、自我ともいえます

コインの大きさは望みや自我の大きさに比例します

人は何枚ものコインを持っていますが、テープルの上に載せてあるそれらのコインすべてが表を向いているわけではなく、表を向いているものもあれば、裏を向いているものもあります
表を味わった後は、ひっくり返って、裏が出る仕組みになっています
その逆もしかりで、貧乏くじだと思っていたものが、ひっくり返って幸運に成ることもあります

マハラジに次のような言葉があります
「魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。そして時間がすべての感情を決算する。バランスの法則が究極の支配をする」

すなわち、表が出た後は、裏が出る。裏と表の感情があわられるのは時差があるが、決算すればそれはバランスする、といっています

では、一切皆苦なら生きる意味はどこにあるのでしょう?
それは、一つ一つのコインを消化させ、欲や自我を乗り越え、魂を磨いていくことだと思います

あともうひとつ、とても大事なことがあります
魂のレベルが上がれば、表も裏も幸せなコインを手に入れることが出来ます
そのコインには

表には、人の幸せを願う、と書いてあり
裏には、人の幸せを願えたら、同じ幸せが自分にも帰ってくる、と書いてあります

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一切皆苦

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こんにちは
ここを訪れていただきありがとうございます

仏教の教えの中核には無常・苦・無我があるといいます

・無常:森羅万象の全ては常に変化している
・苦:森羅万象は苦である
・無我:森羅万象の全てには永遠に固定された我は無い

というものです。

森羅万象は苦であるは、一切皆苦もしくは一切行苦といわれます


それでも、ブッタがこの言葉を発してから、多くの人が喜びを享受して来ました

ブッタは単純に、すべてが苦だとは言っていないんですね

正しくは一切皆苦といったのは、すべての事柄にはすでに苦となる種が仕込まれているという意味です

喜ばしい出来事があっても、森羅万象の全ては「常に変化」しているので、その喜ばしさゆえにいつしか苦しい出来事が起こってしまいます


これはコインに例えられます

コインには必ず表と裏があります

表を受け取ると必ず、裏も付いてきます

コインの表側だけを受け取ることはできません

しかも、裏と表の大きさはどのコインも一緒です

この世界が陰と陽、善と悪、2つの相反するもののバランスで成り立っているというのが二元論です

つづきます

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