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大きなシフト

我々は神そのものです

我々の真我は神です、もしくは、我々の魂はこの世界を生み出した根源と繋がっています

神に努力は必要はりません

この世にに生まれて(身体が)、経験をし知識を蓄積し、そして”気づき”によってその知識を手放していく

一度、自我を身に着け、それによって喜びや苦しみを味わうことは、自我を手放すために必要不可欠だったのです

輪廻を繰り返しながら、社会とともに魂(真我)を育てていきました

いま、その仕組み自体が姿を現しつつあります

これから大きなシフトをするサインです

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なぜ気づけなくなったか

神ではなかった”もの”とはどんなものでしょうか?

悪でしょうか?

それだけではありません

アダムとイブが知恵の樹の実であるリンゴを食べて身に着けてしまった、善悪の知識です

全てを2つに分けて判断してしまう心です


なぜジャッジする心に気が付くことが出来ななくってしまったのでしょうか?

それは、小さいときに強いられた、変わる(成長)ための苦労の経験です

つまり何かに気が付いてしまったら、以前と違う自分になるために努力をさせられるという恐れです

そのほかに、今まであるものを捨てたくないという恐れもあるかもしれません

そんな恐れは、今のままであることを選び、なるべく気づかせないようにしてしまいます

そして、楽な道を選びます

つまり、自分は正しいと主張することで幸せを手に入れようとしてしまいます



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気づく、たったそれだけ

本当に気づくだけでいいのです

たったそれだけなんです

自分を変容さ、無限の源へ帰っていくのに必要なのは


自分を変えていく、成長させていくためには努力をしなければならない

ほとんどの人がそう教え込まれてきました

でもそれは嘘です

それは、他人にとってもしくは社会にとって都合の良い人間になるためには努力を強いられたというだけです

(もしも、この世界全ては自分だという観点に立って説明するなら、分離というこの世のゲームのルールをいったん身に着けるための作業にすぎなかっただけです)


我々は神そのものです(もしこの表現に抵抗があるなら、我々の真我は神です、もしくは、我々の魂はこの世界を生み出した根源と繋がっています、と言い換えてください)

神に努力は必要はりません

必要なのは、神ではなかったものに気づくだけです

つづきます

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